みなさま、はじめまして。
熊谷 訓行(くまがい のりゆき)です。
『DOORS TO FREEDOM』にご興味を持っていただき、どうもありがとうございます。
今日までに続く道のりには、たくさんの思いや、葛藤がありました。
これから、どんな人間が、どんな思いで創業をするに至ったのか、
サイト上ではありますが、まずはそういった思い部分をお伝えさせていただけたらと思い、
こうして、筆を取った次第です。
少し長くなりますが、もし、お付き合いいただけましたら幸いです。
■今日に至る道のり
あるクラスメイトとの出会い
私は、元気でヤンチャな子どもでした。幼少期は多くの友だちに囲まれ、それなりに充実していた日々を送っていたように思います。思い返せば、この頃から、「人と接する」ということが好きでした。
中学生の時、ご家庭の意向で、支援学級でなく普通学級に入ってきたクラスメイトと、人生で初めて関わる機会がありました。彼の存在は、当時の私の関心の中に、大きな割合を占めていました。どうして彼にそのように関心を持つのか、その時の私には答えの出ないまま、中学を卒業しました。
理想の教師を目指し、大学へ
高校卒業後、大学へ。私は大学生活を、将来、仕事をするために活かす時期にしたいと考えていました。
そこで、教職を取ることにしました。高校生の頃から、「教師になりたい」という思いがあったからです。
中学生の頃、私にとって、とても恵まれた「先生との出会い」がありました。
その先生は、授業だけを行うのではなく、学校内外に関わらず生徒を視て、個々の「人としての在り方」に関わってくれる先生でした。
その姿を見て、将来は私も、関わる生徒たちに、背中を見せられるような教師になりたいと感じたのです。
「障害」という世界との出会い
大学生活を送っていたある日、教職の授業で「ADHD(注意欠陥多動性障害)とLD(学習障害)」に関する課題が出ました。色々と調べながら、これまで知らなかったその世界に触れたその瞬間、私の身体に稲妻が走りました。「この世界のことを、きちんと学びたい」。能動的に「勉強したい」と感じることなんて、この時が人生で初めてでした。
勢いのまま、私は一緒に教職の授業を受けていた先輩に訪ねました。「先生になるため、準備していることはありますか?」「土日にボランティアに行っているよ。」その返事を聞いた私は、「じゃあ、一緒に行かせてください!」とすぐにお願いしました。尊敬している先輩が将来のためにやっていることなら、自分もやりたいと思ったのです。活動内容も知らないまま、先輩に着いていきました。
作業所で受けた感銘
いよいよボランティア初日。着いた先は、作業所でした。作業所がどんな場所かも知らなかった未熟な私は、その日、強い衝撃を受けることになりました。これまでに出会ったことがないくらいに、心が美しいと感じる人々に出会ったからです。そこで働いている人たちが、私の目には、全員キラキラして見えました。
帰り道、興奮冷めやらぬ私は、再び先輩に「他にも何かしてますか?」と聞きました。すると先輩は、「支援学校にもボランティアに行ってるよ」と答えました。
「そちらにも、ぜひ行かせてください!」私は再び、即、頭を下げました。そこがどんな場所かも知らずに…。
これが、私と支援学校との出会いでした。
支援学校で触れた「教育の真髄」
支援学校に初めて訪れた日、私はこの日もやはり、子どもたちから凄まじい煌めきを感じていました。どこまでも純粋で、無垢な彼らに関わるうち、私自身もどんどん楽しさを覚え、同時に、生きる喜びを分けてもらっている感覚がありました。
「なんて素敵な子どもたちなんだろう。」心の底から私は、そう感じました。あるがまま、活き活きと生きる彼らの姿を、大変眩しく感じていたのです。
さらに、支援学校で感銘を受けたのは、少人数制の授業形式の下、生徒一人一人に対してきちんと目が行き届く環境が整っているということでした。個人に対して適切なアプローチができる支援学校の在り方に、私は「教育の真髄」を見た気がしました。兼ねてから目指していた教師像を体現したような形が、そこにあると感じたのです。
社会に交わることが困難な人たちとの「距離」
支援学校のボランティアという、アルバイトよりも楽しく学びの深い時間に、私はすっかり魅せられていきました。そして、「今回の自分の人生は、この世界で生きよう」と、いつしか心に決めていました。
そんな日々の中で、ふと、中学生の頃のクラスメイトだった、あの彼のことを思い返したのです。
((私があの頃、彼に特に関心を持ったのは、それまで彼のような人に出会う機会がなかったからじゃないか?))
ちょうど教職に関する課題で、「社会と交わることに困難を覚える人々が、いかに社会そのものから遠ざけられて来たか」というテーマについて、調査していたところでした。
当時、とてもモヤッとした気持ちになったことを、今でも強く覚えています。
「休みなんてたのしみじゃない。学校に行きたい」
ある日、休日の前の日というタイミングで支援学校を訪れた私は、1人の生徒に、何の気なしに声を掛けました。
「明日のお休み楽しみだなー。何するの?」
すると、返ってきた言葉は、大変意外なものでした。
「休みなんて、全然たのしみじゃない。それより、学校に来たい」
私の中で、人生最大級に衝撃的なセリフだったように思います。「なんで?」と聞くと、「だって、学校がない日は友たちに会えないもん」
((…この子たちには、「プライベートな時間の選択肢」がないんだ。)) 私の中で、
やるせなさと憤りが渦を巻き始めました。1人行動が難しい子どもたちが、充実したプライベートを楽しめるようにするには、どうしたらいいのか。
…私が、その場を作ろう。そう思いました。((私が関わるステージはここだ。子どもたちに向けた、プライベートな時間の提供と、教育の真髄部分を融合できるような場所を作ろう!))
理想と現実の狭間
子どもたちにとって、たのしく自由なプライベートの場 × 子どもたちの性質に関わらず、一緒に過ごせる場
これが、私の作りたい場所の、中心軸的な思いとなりました。これまでのモヤモヤを解決するあらゆる要素がマッチングして、理想の場所像が描けるようになった私は、さらなる実行力向上のため、次の活動の場を考えることにしました。
最初は、「政治家になりたい」と考えました。しかし、大学の就職支援科の先生に相談しに行った結果、あっさり却下。
「お前は青い(人生経験が足りない)。」という先生のコメントが身にしみた私は、今度は教員としての「プロフェッショナル性」を究める方向へ舵を切り、大学院へ行こう、と思いました。しかし、アッサリと合格を手にしてしまうと、進学する理由を見失ってしまいました。
方向性の再確認
もがき悩むうちに時は流れ、いよいよ卒業間近になった頃、知り合いのツテで、まさしく私が「やりたい」と思っていることを実現している人に出会いました。
話を聞くうち、「やっぱり、やりたい」という思いがムクムクと強くなっていくのを感じました。
もやは学生という身分がもどかしく、一刻も早く現場に身を置きたくてウズウズしていました。
結局、私は大学院進学を取りやめることにしました。
((一刻も早く、一秒でも長く、先に現場で経験を積もう ))。卒業論文の研究で、「人の成長の中で、幼いうちからあらゆる人たちに関わっておく経験が、偏見の有無を左右する」という研究結果を得た私は、より、理想の施設作りへの思いを強くしたのでした。
創業までのキャリアと、目指す場所への思い
最初の就職先は、京都にある支援学校の、中学部でした。1年の勤務を経た後、大阪に移り、5年働きました。そこから京都でさらに3年の教師経験を経て、創業に至ります。
創業を前に、自分の中でも色々と考えることがありました。昨今、社会情勢の変化を受けて、「デイサービス」のような施設は、数多の企業によって手がけられています。しかし、その中にあっても、私は、私のありったけの思いを籠めた、心の籠った施設を作りたい。子どもたちの居場所のことだけを考えた、ド真ん中の施設を立ち上げたい。
そういった連なる思いの下に、創業までを駆け抜けてきました。
いつかは、障害の有る無しに関係なく、すべての人たちが共存できる世界を作りたい。
その最初の一歩として、まずは私の作るこの小さな場所から、それを発信していきたい。私は、そう考えています。
長くお付き合いいただいて、どうもありがとうございました。
最後に、少しだけ、私の展開するサービス全般について、お話させてください。
サービス内容
①放課後デイサービスの開所
②あらゆる個性を持つ子どもたちが一緒に出かける、旅行・ツアーサービス
③支援を必要とする方々の雇用場所の創設(就労継続支援事業)
④日常における補助器具、及び支援グッズの販売
①放課後デイサービスの開所
まさしく、『いろは』の活動そのものです。
様々な個性や特性を持つ子どもたちを、家庭・教育機関・医療業界との連携を取りながら、幅広く受け入れられる施設を展開していきます。
『いろは』で展開する様々な機能の中で、特に重要だと考えているのは、『いろは』に通う子たちばかりではなく、近くの学校に通う地域の子どもたちも放課後になると自然に訪れる、学童のような形を作ること。支援を必要とする子どもたちと地域の子どもたちが、自然に交流しながら、分け隔てなく一緒に遊べる環境を作りたいと思っています。それこそが、「ボーダレスで、ワンワールド」的な世界へと向かう第一歩になると信じています。
ゆくゆくは、どのような子どもたちも交じり合いながら遊び、学べる大きな場となっていけるよう、力を尽くしていきたいと思っています。
②あらゆる個性を持つ子どもたちが一緒に出かける、旅行・ツアーサービス
1人での行動が難しい子どもたちは、行動範囲が限られてしまう。…そのことがやはり、私にはどうしても悔しく、このようなサービスを考えました。
環境が万全でないとできない・難しい…。そういった壁を取り払って、「行きたい」と感じた場所があれば誰しもそこへ行くことができる、そんなサービスを作りたいと考えています。
イメージとしては、引率スタッフのいるツアー旅行のサービスのような雰囲気です。
支援が必要な子どもたちと、地域の子どもたちが、一緒に参加する修学旅行や郊外へのキャンプのような試みができたら、より楽しい世界が待っているのではないかと考えています。
③支援を必要とする方々の雇用場所の創設(就労継続支援事業)
『いろは』などの施設を通じて、せっかく子どもたちが仲良くなっても、あらゆる支援を必要とする子どもたちが卒業後に進む進路は、現状日本ではまだまだ環境が整っておらず、大人になっても縁を紡ぎ続けることは難しい…。
そんな現実を打破したくて、「かつて一緒に子ども時代を過ごしたメンバーが、大人になっても、ともに成長し合いながら、たのしく社会の一員として関係を続けていける場所」を作りたいと考えました。
どんな人にとっても、深い繋がりを持つ仲間の存在は大切です。長い時間をともに過ごしてきた相手ならば、思い入れもひとしおというもの。
そういう仲間と長く過ごしていける場所が、誰にとっても安心して持てる社会になりますように。
そんな願いを込めて、「働きながら、仲間とたのしく過ごしていく」ための居場所を作っていきます。
もちろん、『いろは』以外の施設や、あらゆるバックグラウンドを持つ方々にもいらしていただけたら、そこからさらなるご縁の輪が広がり、より一層素敵な場所になるのではないかと、ワクワクしています。
④日常における補助器具、及び支援グッズの販売
日本ではまだまだ導入の遅れている、社会生活に困難を覚える人たちのための支援グッズ。私のサービスでは、それらの開発がより進んでいる海外から適切な商品を取り寄せ、日本社会に普及していくことで、普段日常でハンディキャップを感じることのある方々が、少しでもそれらを感じずに生活できるような社会の実現に近づけたいと思っています。
足の不自由な方の足代わりに、手の不自由な方の手代わりに。よりみなさんの「行きたい」「やりたい」を叶えられるように、お手伝いができたら嬉しく思っています。
以上、長きに渡りましたが、今後のサービスを展開していくに当たって、私・熊谷の思いを綴らせていただきました。
いろいろなご意見、お考えを持つ方々が多くいる社会で、自分なりの言葉を発信するということには責任の伴う世の中ではありますが、それでも、ここに述べてきた事柄たちは、何一つ偽りのない、これまでの人生で私なりに積み重ねてきた貫き通したい信念です。
ぜひ、何か思いの断片的な部分でも感じ取って頂いて、次回は叶うことなら、直接ご挨拶することができましたら、大変うれしいです。
その際にはぜひ、ここには書ききれなかった、私の溢れる思いを、その場所の持つ空気感なども通じて、お伝えできたらと思っています。
私は、目指していく「ボーダレスで、ワンワールドな世界」の達成を諦めません。
そのために、これまでの知識や経験を総動員して、やれることならなんでもやっていきます。
ぜひ、私の本気を見に来てください。そして、お子様が楽しく活き活きと輝いている様子を一緒に喜びながら、ご家族とともに成長を見守るパートナーとして、私を選んでいただけるなら、こんなに嬉しいことはありません。
どうぞ、今後とも、私の活動をよろしくお願いいたします。
2020年7月吉日 熊谷 訓行
Special Thanks
Interviewer&Writer 本田恵理
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